ばみログ(ヤマダの日記)

小学校で3年間教師を務めるなかで、自分の価値観を広げたいという思いにかられて旅に出る。日本自転車旅、東南アジアバックパッカーなどなどしながら思ったことをつらつら書いてます。2018年10月24日より博多で社会復帰しました!笑

何もしない

何もしないって

 

 

すごいことだよ。

 

 

 

人生で

 

何もない。

真っ白。

 

な時間ってなかなかないよね。

 

まあ、

完全に何もない状態ってのは無理なのかもしれないけど、

 

いつも何かあって、

その何かに急かされながら生きてる?た?

 

 

よなーっておもった。

 

 

とりあえず、

幼、小、中、高、大、就職

そこに、

部活とか宿題とかバイトとかなんとか

 

もちろん

その合間合間に、休みの日とか、暇な日とか

あるんだけど、

いつもそういう

何か

に所属している感と、

その所属のためになんかしなきゃ感

からは抜け出せずに生きてたんだなーって

朝ジャグジーでぶくぶくされながら思った。

 

 

 

特に今でも心に残ってるのは、

 

教員一年目で、

めちゃめちゃめちゃ働いてた時、、

 

大学の部活のOB会があって、

千葉に行った。

行くためには

電車をいくつか乗り換えるんだけど、

乗り換えてる時間やばい!

何もしてない!

こんな何もしない時間があっていいものか!

この時間で次の授業考えられる!

ノート!鉛筆!!

 

みたいになってた。

 

隣にいた友達に引かれた。

 

 

もはや

強迫観念とか、恐怖心というか、

 

何かしてなきゃいられない。

何かしてなきゃいけない。

 

みたいになってたんだと思う。

 

別になにもしてなくったって生きてられるし、

なんてことないのに、

 

なんでだろうね。

 

何にもしてない。

っていう状況、

白紙な状況に抵抗あるよね!

みんなないのかな。

なんかしなきゃ!って思っちゃわない?

 

世間体かな。

 

「何してるんですか?」

「いえ、何もしてません。」

バツが悪いからかな。

 

 

 

んで、

とりわけ仕事に関してそういう心持ちになってくるとさ、

もう追われちゃってるんだよね。

ずっと仕事とか時間とかに追われて

けつ叩かれながらいきてる感じになる。

 

で、けつ叩かれるのが嫌だから

もっと早く自分が走るようになる。

そうすると、自分のリズムで仕事できるから。

 

でも

早く走れば走るほど、

周りの景色は見えなくなる。

そのほかのものが全然入ってこなくなる。

 

 

 

どんな生き方が正解とかないし、

どんな働き方が正解とかないけど、

自分はそういうのが嫌になっちゃったんだと思う。

うまくバランスとってやれればよかったんだけど、そこは100か0かみたいな性格が出ちゃったんだと思う。

 

 

 

自分が仕事を追えるように、

タイムマネジメント学んで、

自分で仕事管理して

それに沿ってこなして行く。

 

そうやりながら自分のペースを作って行く。

無理なく、でも成果が出るように自分で自分をコントロールして行く。

その仕事に強い想いや、これだ!って思えてたら、こういう働き方したらいいと思うし、最強だとおもう。

どんどんのめり込んで行って、そういう自分が好きで、楽しかったらいいと思う。

 

 

 

 

でももしそうじゃないなら、

一回立ち止まって周り見てみてもいいんじゃないかなっておもった。

 

いま、俺は社会の中で言えば、

立ち止まってるとこ。

 

周りを見渡してるような感じだと思う。

 

 

 

先生やりながらも

それをやろうとしてたけど、

やっぱり心の何処かに

「明日の授業」

があって、

そこに思考が使われてる分、

入ってくる量に制限があったんだろうなって

何もなくなってみて感じる。

 

だからみんなもやめよう!!

 

じゃないし、

そこまでしなくていい人は全然しなくていいと思うけど、

 

無くしてみてわかることってやっぱりたくさんあるんだとおもう。

まだ1ヶ月もたってないから、

 

そんなに具体的に何か掴んだわけじゃないけど、感覚的には、

 

空いた分入ってくる。

手放した分持てる。

 

そういう感覚がある。

 

 

ああ、

人と話すのってやっぱめっちゃ楽しいなーとか、

ビルの中より自然の中の方がいいなーとか、

荷出しとかしたいわけじゃないなーとか、

飲食店で働きたいわけでもないなーとか

実はやっぱ子どもと接するの好きなのかもなーとか、

 

 

まっさらな自分、

 

無地な自分

 

縛られてない自分で感じられるから

 

その感覚に自信がもてる気がする。

 

「先生だったら」

みたいな条件付けがやっぱりあったんだなっておもう。

 

 

いま何を選ぶのか、

何を持つのかは完全に自由。

 

ゆっくり歩きながら、

周囲を見渡して、

面白そうなら一回手に取る。

なんか違ったらその場で手放す。

 

そういう軽い選択や、行動が可能になった。

 

 

一つの仕事!

 

にも

 

いろんな仕事!

 

にも

 

メリットもデメリットもある。

 

 

辞めてみて、

何もしないでみてわかったのは、

 

一つの仕事!

これしかない!

 

が、自分にとって結構な拘束になってたこと。

 

まあ、

ダメなら次あれやってみたらいっか!

 

みたいにならずに、

いつのまにか思考や行動がが縛られてしまっていたことに気がついた。

 

一生この仕事で生きてく!

っておもってるんだから当たり前だよね

しがみつくし、終わりが見えないマラソンみたいな気持ちになるし、

自分をその分野の中で上り詰めさせて行かなきゃ!みたいになってた

 

 

 

 

日本社会の体質としてもそういうとこないかな。

 

一つを突き詰めてくのがいい。

 

みたいな。

 

 

それもいい。

 

 

そうじゃなくてもいい。

 

 

んじゃないかな。

 

 

人生もっと自由なんだよきっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ps

 

 

 

そんなことを思ってた朝風呂が、

 

 

 

 

 

 

旅2日目にしてなってしまった二日酔いを癒すためのジャグジーだったなんて、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言えた。