ばみログ(ヤマダの日記)

小学校で3年間教師を務めるなかで、自分の価値観を広げたいという思いにかられて旅に出る。日本自転車旅、東南アジアバックパッカーなどなどしながら思ったことをつらつら書いてます。2018年10月24日より博多で社会復帰しました!笑

ゆるすこと と 守破離

最近は自分をゆるすことを頑張ってる。

 

これまでに自分が一生懸命積み上げ、カチカチと固めてきた“あたりまえ”や“思い込み”を一つずつ一つずつ解いて溶かして流していくような感じで。

 

特に“こうしなきゃいけない!”とか“こうすべき!あるべき!”みたいなことを片っ端からやっつけてる。そんなんだから最近の自分はすごくふにゃふにゃしてるし、結構失礼な感じになってると思う笑。でもいまはそれがいい。

 

なんでそんなことしてるのかといえば、その方が楽で軽くて心地いいから。自分の思い込みを見つけて、それを許してあげると荷物がふぁっと落ちていったような、車輪に絡まっていたものがとれて自然と走り出してしまうような感じになる。

 

極端だけど、例えば上司や先輩にタメ口で話してみるとか。そんなの絶対むりとか言ってる人ほどやってみてほしい。

 

その人がなんて言ってくるかはわからないし、別に責任もとらないけど、なんかしら新しい関係や感覚が生まれそうじゃない?

 

例えばそれが案外すんなりと受け入れられたらほんとに単純に自分が思い込んでただけのことだったんだって気づけて、おまけにそれまでよりちょっと親密な感じになれる。

受け入れてもらえなさそうだったらまあ、そういう人なんだなってね。笑

 

大切なのはその後で、

やってみたら、あ、やっぱりタメ口って気持ち悪いから敬語がいいなって思うかもしれないし、逆に案外心地いいもんだなって思うかもしれない。

どう思うかはわからないけど、その事柄について、自分のしたい方を選択する形になるよね。

 

多分それってすごく大切なんだと思う。

敬語にしなきゃいけない。

と、

敬語の方が心地いいからそうしてる。

とでは全然変わってくると思う。

後者は自分主体で、その行動を自ら選択したことになる。

 

タメ口はめっちゃ身近な例だけどそういうことの積み重ねがそれまでの自分を刷新して、再構築していくことになるんじゃあないだろうか。

 

 

守破離って言葉があるけど、

小さい頃はまず守ることから始まる。

ルールややり方、型、規則、枠、そういうものを守っていくところから始まる。

 

俺は次の破に行くのがだいぶ遅かった。

 

破ってる人に出会って初めて

あ!破っていいのか!

って知ったから。

 

その前から周りには破ってる人がたくさんいたんだけど、その人たちとは土俵が違う。って思いこんでたみたいで、彼らから影響されることができなかった。

 

でも同じような道を行ってる人で破った人と出会ったことで自分も破っていいことを知れた。

 

その瞬間が自分にとって大きな“ゆるし”になった。一回ゆるすことを知ると、そのあとは自分で意識してゆるせるようになったり、訓練したりできる。

 

一つ目の“ゆるし”

つまり、“破” を得られたことは自分にとって大きなターニングポイントになったと思う。

 

果たして

敬語をタメ口にしてみる

みたいなことがそこにつながっているのかどうかはわからないけど、そういう感覚もって生きてくだけでもちょっと違うんじゃないかと思ったのでした。

 

 

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なつがくるっ!