JICAに応募してみたい理由 東南アジア23日目 プノンペン
こんな笑顔でご飯食べられたら嬉しくなっちゃうよね。笑
というわけで
この日は、朝からプノンペンにあるJICAのオフィスにお邪魔させていただいた。
現地のNPOやNGOとも連携を取りながら活動することもあるらしく、カンボジアで活躍している人たちのことについて少しだけ詳しくなった。
なんでJICAについて興味があるかというと、すごく不純なのかも知れないけど、
・日本ではもちえない価値観をもちたい
・外から日本を見つめてみたい
・お金も欲しい
などなど。
要は旅じゃなくて、その場にとどまって一定期間の「生活」がしてみたいっていうこと。2、3日滞在してるようじゃ見えてこないものが見たいし、感じたい。もっと現地の人とコミュニケーションを取ってみたい。っていうのが一番の動機。
だからそれをするのに、ワーホリでもいいし、留学でもいい。その選択肢の一つにJICAがあった。
今年の3月ぐらいだったと思うけど名古屋で開かれた青年海外協力隊の説明会に行った。その説明会で言われたことが自分にとっては衝撃的で怯んだ。
英語が心配、生活が心配、スキルが心配って思っても大丈夫!大切なのは世界を救いたいっていう気持ちだ!
みたいに言われてすごく怯んだ。
いや、世界救いたいとは思えてない。。。笑
そんなこともあって、実際に活動してる人やしたことある人に会いに行こう!実際どうなのか確かめてみよう!っておもった。
JICAのオフィスでいろんな雑誌や活動報告を読ませてもらった。でも改めてJICAに対して自分が思うことは、別に世界は救えないし、やはり救おうとも思えないってことだった。まぁ、そもそもどうなったら世界を救ったことになるのかもよくわからないけど、多分現実を知れば知るほどに自分の無力さばかりがありありと浮き彫りになってくだけなんだろうなって思った。
で、そのあとオフィスで働く内藤さんにお昼に連れていってもらった。ソロモン?だったかな。島国で看護師隊員として活動した方もたまたま遊びに来ているからということで混ぜてもらった。
同じように世界救いたいと思えてないんですー!って話したら、いや、思えてる方が怖いわ!って感じの反応だった。
やっぱそうだよね。
自分がどこに飛ばされるかもわからないのに最初から救うぞー!なんて思えないよね笑
もちろん活動は一生懸命にやるけど、それは自分自身のためであって全然いいと言われて肩の荷が降りた感じがした。やっぱりみんなそうおもってるんだ。
もちろん世界救う気満々の人もいるだろうけど、自分は何も経験していない今の段階からそうは思えてない。それでいいんだって自分を許せた。
加えて、どんな活動をするのかという話になった。小学校の免許を持っているんだからそれを活かしたらいいと言われた。その通りだとおもったけど、またあの場所には戻りたいとは思えなかった。それはひろしまハウスが教えてくれていた。多分現地の小学校に配属されたら3年間で得た知識や経験を思い出して、それを駆使して先生方にアドバイスしたりするんだと思う。
それはしたいと思えない。縛られてしまう自分がいるとこの数日で気づけたからだった。やりたいことやったらいいと言われて、考えた。
もう少し違った環境で子どもたちや、その保護者と関わったり、一緒に楽しんだりしながら成長できることがいいなっておもった。
そうしたら
それっぽいのあった!
しかもプノンペンの後行こうとおもってるとこ!!広いラオスでもピンポイント。
不思議なご縁に導かれてるとしか思えない瞬間だったわー。
まあ、こんな数行の文章ではほとんどのことが見えなてないから勝手に胸が膨らんでるだけだけど、なんか一つのきっかけというか、新しい道がかすかに見えて来た気がして嬉しい瞬間だった。
この後のラオスも楽しみだ。
まだわからんけどこの秋の募集で応募するってこともあるかもなー。
というわけで、学校苦手シリーズその2
②授業における苦手
・1時間として同じ授業はない
だからこそおもしろいってのも重々承知だけど、毎日5時間6時間新しい授業するのってやっぱり自分にとってはめっちゃきつかった。もちろんある程度の型だったり、ルーティーンみたいなのもあるからそういうのもうまく組み合わせていけば負担は減らせるんだろうけど、子どもからどんな意見が出てくるか予測して、自分が質問する言葉を選んだり、その場でうまく対処しながら子どもたちの言葉を使って何かひとつのゴールにたどり着かせる。毎日毎日教科書とにらめっこしながらそれを続けていくのは終わりのないマラソンをしてる気分だった。
そんな授業を考えることも定時の中で他の先生と相談したりしながらできたらまた違ったのかもしれない。仕事の遅かったヤマダは学校終わってからマックでやったり、土日のどちらかでマックにこもってやっていた。そんな時間も今では懐かしいけど、起きたら寝るまで授業のこと考えてたなーって思う。
・満足させられないのがほとんど
子どもたちが意欲的に学べる学習環境を整えたり、知りたい!考えたい!っていう教材や問題を提示する、引き出す、ってことが教師の仕事だけど、なかなかうまくいかない。うまくいかなければ子どもたちは集中しないし、やらされ感満載になる。だらだらし始めるからケツを叩く。
自分に力がないのに子どもたちのケツを叩いている自分が嫌で嫌で仕方なかった。まじでごめんなって思いながらいろんな理由でケツヲタタイタ。ケツヲタタク以外の方法もあったのだろうけど、タタカなきゃならない状況になることが多かったなぁ。。笑
どれも自分の勉強不足、力不足、準備不足。
でもその不足を補ってたら死んじゃうよー。
って感じだった。
精一杯やってたけど、どんどんクリエイティブな感情は消えていって、いつのまにかなんとか終わればいいかなってなってた時もあった。
何事もなく単元を終えられることも十分すごい!みたいな。
そういう守りの気持ちを持ち始めた自分にとてつもない嫌気としょーもなさを感じられたことも教員を辞めようっていう決断を助けた気がする。
なんか子どもに申し訳なくなったんよなー。
・質の良いものを提供できない
当たり前だけど、となりのベテランさんと同レベルの授業ができないってのがつらかったなぁ、、笑 そんなの学校の先生に限ったことじゃないけどさ、機会はおなじじゃん?1年間〇〇小の〇年生っていうとこまで。なのにさ、やっぱ受けられるものが全然違うやん。そこに負けたよね。そんなの追いつけるわけ絶対ないし、比べる必要なんてないんだろうけどめっちゃ比べてた。できないこと、だめなとこばかりが出てきて自分をめっちゃ責めてた。子どもの育ちに表れちゃうしね。常に比較されている気になってるのも辛かったし、本当ならもっと質の良い授業受けられてたかもしれんのにごめんなー。って毎日思ってたわ。。。
これらはまぁ、経験が全部解決するものかなーって思った。授業だってやればやるほど上手くはなっていくだろうしね、、
でもやっぱり守りに入ってるなーって思う自分がいたのが結構決定的だった。そんな自分が好きじゃなかったんだよね。シンプルにコレジャナイ感。
そういうとこが苦手だったんだなー。
ま、
よく頑張った自分っ!
笑
続く
やぱめっちゃ岡村。