ばみログ(ヤマダの日記)

小学校で3年間教師を務めるなかで、自分の価値観を広げたいという思いにかられて旅に出る。日本自転車旅、東南アジアバックパッカーなどなどしながら思ったことをつらつら書いてます。2018年10月24日より博多で社会復帰しました!笑

幸せと成功

みなさんこんにちは。

ご無沙汰しております。
ひろきです。

 

最近友達と話していて気づいたことがあったんでシェアしますー。

 

まず結論

【幸せと成功って違う】

 

!!!!
びっくりしたー。
幸せと成功って違うんやね。
なんか当たり前なような気もするけど、話してて自分で言うまで気づかなかった。

 

と言うのも、その友達と、どんな未来を思い描いているかって話になって、
「自分も従業員もエネルギー湧き湧きで、尚且つ1000万〜2000万得られてる状態」
って言うのね。

 

それが俺の成功であると。
その成功に向けて努力していくんだと。

 

そうかー。
野心に満ち溢れていて彼らしい答えだなーって思った。

でもなんか肩肘張ってると言うか、すんごい努力必要なんだ!って感じがして、大変そうだなって思ったの。

 

そこで
「成功はそうだろうけど、幸せはなんだろう??」


って聞いてみた。

 

そしたら
「うーーん、、、なんか家族と仲良くしてるイメージ」

 

って。

 

急にざっくり笑
なんてほんわかしてるんや。


そしてそれ叶えるには多分年収1000万もいらん笑

 

今まで「その成功=幸せ」としていた模様。

1000万達成したらその達成感は得られると思う。


でも1000万得るまでは幸せにはなれないし、多分1000万達成したらその先を追い求めるか、そこから落ちないように維持することに躍起になっていくよね。

 

お金をたくさん得ることは成功かもしれないけど幸せではないんやね。

 

いわゆる手段の目的化が起きていたのでした。

目的はお金を得ることではない。
そのお金を得ること=手段で、どんな状態になることを望んでいるのか。


それがわからないと、いつまでもどこか空虚を抱えたままに生きていくことになるよね。
本当のゴールテープをきれてないから。

 

自分の目的=幸せ=本当のゴールはなんなのだろう。

 

うっかり目に見えるものに引っ張られてしまうこの世の中。
もちろん成功も必要。
ただどんなゴールに向かって、どんな成功を積み重ねていくのか。

 

一歩引いて俯瞰してみるのが大切やろなと台風横目に思ったのでした。

 

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そんなヤマダは博多でコミュニティスペースをオープンしました。

 

是非是非お越しくださいませ。

 

https://www.kotonohashi.com/blank

 

不登校高校生との出会い 〜灰色と青〜

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部屋にいくつかあいた穴はその時のエネルギーを解放する方法がそれしかなかったことを物語る。

 

本当は友達が欲しかった

普通高校一年目の5月。学校の親睦合宿で行われたのは体育でやるあの集団行動だった。

「何してんだおれ?」

そもそも進学するのが当たり前だからと思って入った高校だったけど、右向け右をしに来たわけじゃないことだけははっきりとわかった。


でもそんなこと言ったら先生にどう思われるだろう。友達からなんて言われるだろう。

考えれば考えるほどこれがあと3年続く未来に絶望した。自分に嘘ついて、周りの目を気にして生きることにいったいどんな喜びがあるんだろう。

 

そんな気持ちに気付いてしまった自分が選択したのは不登校という道だった。6月に行かなくなった学校には所属している意味も感じられなくて、9月には辞める決断をした。

あんなにストレスを抱えながら乗り越えた受験がバカみたいだ。


これから変わるぞと意気込んで通信制高校に通い始めた。先生たちは常に笑顔でみんな優しくて、ここならと思った。

でも待っていたのはほとんど変わらない現実。


高卒の資格を取るためだけの勉強。友達とどう関わっていいのかわからないって自分の悩みが改善されるような授業なんてなくて、仲間ができなかった。

横に人がいるのになぜか孤独で、寂しかった。


ひきこもりの始まり

そしていよいよ本格的な引きこもりが始まる。1日家にいるのはただただ退屈だった。何かしたいのにどうしていいのかわからないもどかしさで部屋を壊した。それは自分に対する失望と親に対する原因もよくわからない怒りの表れだった。

何か変わるかもしれないと転々と環境を変えてみてもそこにあるのは希望のかけらもない真っ暗な日々。刺激が欲しくても何をしていいのかわからない、どこに行ったらいいのか知らない。YouTubeも本もゲームもただの退屈しのぎ。

いっそのこと死んでしまうことが自分に1番素直でいられる方法なんじゃないかと思った。

 

絶望が希望に変わった日

そんな絶望が希望に変わった日があった。
それはおばの紹介で行ったクライドナイン・エデュケーション。そこにいた代表のアッコの言葉に何かが崩れていく感覚を覚えた。

「高校なんて行かなくていいよ!くそやけんww!」

なんだそれ。この人本当にそう思ってる笑
誰にも素直に言えなかった思いを代わりに吐き出してもらえた気がして重く重くのしかかっていたものがガラガラっと落ちていった。


なんとも楽しそうに心通わせる人たちを前に驚きを隠せなかった。
同時に切望した。
「自分もこんな風に人と関わってみたい」
あんなに人と関わることを恐れてきた自分のなかに、人と関わってみたいって希望が湧いていた。


その日を境に
「絶望」は「希望」に、
「死にたい」は「生きたい」に
変わった。


まるでオセロのようにパタパタと世界が変わっていくのは本当に痛快で、こんな自分からワクワクした気持ちが湧いてくることが嬉しくてたまらなかった。

 

これからつくりたいもの

仲間も、強い自分も、人と関わる力も全部作っていきたい。

その先に見えるものは、
「安心して思考も気持ちもさらけ出せる社会」

もう人の目を過剰に気にするのも、絶望に打ちひしがれてるのもしたくない。どこにいたっていつもの自分で、あるがままに安心していられる社会を作りたい。

その第一歩になるのは間違い無く今日の自分の行動だって今なら少しわかる。

楽しみと恐れでまだまだ不安定だけど、一歩ずつ前に進んでいきたい。

 

 

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彼と出会ったのは旅から帰って福岡に初めて訪れた時のこと。その時は不登校だったこととかよく知らなかった。

 

こっちで働くようになってからよく会うようになった。一緒にイベントに行ったりカフェで話したりした。この文はその時に聞いた彼のこれまでの人生の一部。

 

何度か投稿の題材に使わせてもらったけど、彼に出会って自分の不登校のイメージが変わった。

 

今思うとほんとクソだなって思うけど、それまではなんで学校来ないんだよ、弱いなぁみたいに思ってた。

 

でも本当にピュアでまっすぐなんだって気づいた。行かないって選択するのだって怖いし、退学することだってめっちゃ勇気いるよね。自分の気持ちに嘘つかずにいた結果なだけだって思ったらさ、その人たちかっけーとまで思うようになった。

 

今まで彼のしてきた経験もこれからする経験もただただ出会っていく誰かの希望でしかないねって話してたら彼もめっちゃ嬉しそうだったけど、おれもすげー嬉しかった。

 

そうやって希望を誰かと紡いで広めていくことって本当に幸せな仕事やなって思う。

 

これからめちゃ楽しみやな!はるか!

 

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過去にも未来にも希望がある

自分がそんなことを担えるのだろうかとか、まだまだ力不足だって思って萎えてたときに一緒に働くDすけから電話がきた。

 

「今日話していてなんか考え事してるなって思ってさ、どんなこと引っかかってるのか気になるし、明日そのまま仕事に行くんじゃないかと思ったら心配になったから電話した」

 

なんて電話がかかってくる時点でまずびっくりだったんだけど、今の自分に萎えてたことを話していったときにだいすけから出てきた言葉にまた驚いた。

 

「俺も博揮みたいになったときAッコから言われたことの受け売りなんだけどさ」 っていう丁寧な前置きの後に

 

「たしかに今の自分はクソに思えて希望もなくなってるかもしれないけどさ、思い出してみて?過去にも未来にも希望があるはずやから」

 

「???」

 

「福岡来たときどんな気持ちで来た?この仕事やってみることになったときどうだった?あんなことしたい、こんなことしたい、こんな自分になるんだ!ってなかった?」

 

「あぁ、」

 

「未来思い描いてみて?自分が希望を失ってる若者と関わってその子に再び火が灯ったときどう?」

 

「あぁ、」

 

 

っつって

まんまと希望の光を灯されちゃったよね。

 

 

その日の自分が自分の思い描くものとは程遠いのはそれまでの自分が自身のその期待に応えてこなかった結果でしかなくて、それを知ったときほんと情けなくて遣る瀬無くて不甲斐ない。

 

そう思い知ったならもうそこにとどまっていなきゃいけない理由なんてどこにもなくて、さっさと切り替えて未来への期待と希望に向かって歩いたらいい。

 

 

 

って

横にいる同僚が教えてくれるってステキすぎるよね。

 

 

これを継承するのが自分の1つの役目と思ってまた歩き出そう。

 

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気持ちに触れる

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先週末から一緒に住んでいる小1の男の子の様子がどこかおかしい感じがした。

 

なんというか兄弟でじゃれ合っている時にも、喧嘩している時にも、親に反発する時にも何かと声を張り上げる。耳に障る甲高い声を出す。そんな状態が三日ほど続いたことから不思議に思い、どんなことが隠れているのか考えた。

 

その親である”Nほ”と一緒に考えていたが、そんなに話す間もなく、急にNほが、「学校であんたの話し真剣に聞いてくれる人がおらんくてさみしいっちゃろ!!!」と、あいかわらず大声を張り上げているE太郎に切り込んでいった。

 

その言葉を聞いた瞬間にE太郎の声がピタッと止んで、堰を切ったように泣き始めた。それは、悔しさであり、さみしさであり、安心の感じられる涙だった。
E太郎は学校での周囲との関わりや、先生との関わりに困っていたのだった。自分の思いが伝わる感じも、向こうの気持ちが伝わってくる感じもしてなかったのだ。話を聞いて心苦しくなった。(母に自分でもうまく表出できない気持ちに触れられてほっとしたような安心も感じた。)

 

そんな苦しさが声を大きく出すという形で表出されてきていたのだと思うと、「俺、学校で周りの人たちとうまくコミュニケーションが取れなくて困ってる」って言葉にして言えないことが心や行動に及ぼす影響はとても大きなものだと怖くなった。

 

言えない原因は、

①表現力が足りない

②何らかの思考が邪魔して言えない

③いえる環境じゃない

④感じない、気づかない

の4つが主かなって思う。

 

赤ちゃんは①だから泣く。「今○○って感じてるよね、そういうときは○○っていうんよ」って言って表現力を養う。

そのうち②がたくさん出てきそう。「こんなこと言ったらかっこ悪い、はずかしい」「自分でなんとかしなきゃ」親や先生などなど周囲の価値観が入り始めたころそういうジャッジを自分でするようになってくのかな。とくに相手が聞き入れようとしてくれなかったら絶対言おうとは思わないよね。

それが③につながってくとおもう。安心できる環境じゃなきゃほんとのことなんてとても話せない。

それが続いていくといろんなこと諦めて、たくさん蓋をして④になっていくんだろう。

 

実際に目に見えているのは声が大きいという迷惑行為。自分が先生やってる時もそうだった。うるさい生徒に「うるさい!なんでそんなにおおきいこえだすん!?」だった。

そいつはもう俺のことは信用してはなかっただろうし、彼もなんでそうなっちゃうのかわかんなかったんじゃないかなって思う。目に見える問題だけに焦点当てて、それを指摘して消火する言葉をかけることは簡単。結局見た目だけ一瞬鎮火したように見えて全然火種は消えてないないけど。

 

気持ちは目に見えないからなんか軽視されがちな感じがする。確証ないし、数値化することも難しい。何よりそんなこと学校で教わんない。誰にだって絶対あるものなのに。

 

 

 

あの日のあの瞬間、その小さな芽をNほがちゃんと引っこ抜いたことがその後E太郎の人生に及ぼす影響って計り知れないと思った。その話の後も元気なことには変わりなかったけど、耳鳴りがするほどの声ではなくなった。

 

 

「気持ちに触れる」

 

 

目には見えないけど確かにふっと何かが届いた感じがしたあの感覚。

 

自分もいつかっ!


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微妙

ブレストっていろんなワークショップで行われてる。

 

テーマに関して意見を付箋に書いて貼り付ける。似ている意見を○で囲うやつ。

 

先生の時にもよくやってたけど、どこかぬるっとした感じがしていた。

 

たとえば「つながり」が大事だろうって思って、そう書いたとすると、「人と人とのつながり」「つながること」「つながれること」みたいなのが周りの人たちからも出てきて、『つながり』でひとくくりになる。

んで

「あー、やっぱつながりってめっちゃ大事ですよねー」って言いながらなんとなく共感してる感じになる。

 

でもほんとはなんだかなんとも言えない感じ。なんでなんとも言えないかって言ったら、やっぱりそこにはたとえ1ミリだったとしても、人と人との間に違いがあるからだとおもう。

 

消しゴム1つ、鉛筆一本、テーマにしたって感じることも捉え方も全くおんなじことになんかならない。

 

そんなのはみんな知っているはずだし、そこにおもしろみが隠れているのに、なぜか「一緒」でくくってゆるーい共感に安心する。

 

 

その「微妙」な差に本当は彩り豊かなたっくさんの違いが溢れている。

 

それに敏感に気づけるようになったら一瞬一瞬がどんどんカラフルに、ドラマティックになって、見える世界がまるで違ってくる。

 

本当にみんなにとって一緒なのは「違う」ってことだけ。(ってうちの代表が言ってて確かにーってなった)

 

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海外の人がうどん食べると味がしなくて残したり、なにかを加えたりする人が多いんだって。

 

 

薄味を味わい楽しめる日本人だからこそ。

 

あけましておめでとうございます

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これたぶんちょうど一年前の正月に書いたやつ笑笑

 

3月で退職してから瀬戸内海でリゾバしてお金貯めてニュージーランドにワーホリに行って2019年の11月にヤバい男になって帰国する予定だったらしい笑笑

 

3月に退職ってのはクリアしたけど、その後のやつは全然違ってるな笑

 

瀬戸内海ってのは具体的にはなぜか小豆島に行きたくて、小豆島小豆島って思って書いてたんだと思う。それに関しては2月に行ってみて違うなって思ってから一瞬で消え去った。

百聞は一見に如かずっちゅうやつやな。

 

もうワーホリに行ったバージョンのヤマダと出会うことはできないけれど、そういう沢山の選択が重なりに重なって今にたどり着いているから、「帰国後のやばい男」のかわりに「福岡のやばい男」を目指して2019年は邁進していこうと思いまする。

 

 

というわけで、

2019年の話をすると思いきや、2018年をダイジェストで振り返ります。笑

 

2018年まとめると、脱皮って言葉がよく当てはまる。これから始まる新しい人生に向けてそれまでの自分から脱皮したような感覚。

 

それまで収まっていた皮膚から抜け出すことはすごく怖かった。新しい自分の皮膚はまだまだ柔らかいどころか形も決まっていないとっても不安定なものだった。

それが分かっているからまだその中でじっとしていたい気持ちもあったんだけど、同時にもう外側の皮膚で生きていくのはとてもとても窮屈で、痛くて苦しくて物足りなかった。

 

一番初めの脱皮はやっぱり教師をやめると親に伝えた時のこと。ちょうど一年前。1月4日のダイニングテーブルでの様子は今でもありありと覚えている。1つ1つの言葉を発するのも受け取るのも痛くて怖くて苦しかった。

 

その話し合いを終えた後(ブログや口頭で何度も言ってるけど)母はインフルエンザにかかって倒れて、俺は清々しい気持ちで笑ってた。

 

今思うと一番硬い皮膚がそれだった。まだ沢山脱ぎきれてない皮がくっついてたけど、そのあとは早かった。

 

偶然の出会いから自転車で屋久島まで行ったり、人に会いに仙台行ったり、そのつながりから東南アジアに行ったりした。

 

旅する間、ずーっと自分とおしゃべりしてた。その時のことは全部ブログに残っていて、今見返すと吐くほど恥ずかしい事書いてあるのも沢山あるけど、それがその時の等身大の自分だった。自己開示も手伝ってか、静岡に知り合いが沢山できて、また自分の世界が広がった。

 

それまでの自分が10点中3点くらいだったとしたら、8点くらいになって、だいぶ成長したなぁ、人生楽しいなぁってところで、福岡の人たちに出会った。

 

そこの採点基準は100点満点だった。

 

あーね。

 

人生ってこんな採点基準あるんだねーって。

 

(こんな書き方したら静岡の人たちみんな10点で生きてるっていってるように勘違いされるのが怖いけど、俺の価値観が狭かっただけの話ですので悪しからず。)

 

晴れて100分の8点の男になったわけです。

 

今の代表に言われて衝撃的だったのは、

「ひろきはとりあえず運とか偶然任せに生きちゃってまーす。そんな俺すごいでしょー?シーズンだったんだよね?」

って言葉。

 

それを言われた時、不覚にもしっくり来ちゃった自分にびっくりした。

 

そう。

 

シーズンだったんだよね笑

 

ずーっと旅人がしたいわけじゃなかった。

あー恥ずかしい。

もちろんうちなる何かに突き動かされてた。

そういうことしたくて仕方なかった。

後悔してないし、その想いに従って生きた自分は誇らしい。

 

でも、シーズン。

 

笑笑

 

 

酔いしれてたよねー。

 

 

まぁ、そういうノリがあったから今福岡におるんやけどね。

 

 

 

何の話だっけ。

 

 

あぁ。

 

 

ヤマダの2018年。

うちなる何かに突き動かされ、新しい自分へと脱皮し始めた、絶賛オナニーイヤーでした。

 

って話。

 

2019年はどんな一年にしようか。

 

今から考えます。笑

 

今年もよろしくお願いいたします。

 

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決意してからちょうど一年。

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iPhoneのカメラすごい。。

 

11月に山口に行ったのがもう1ヶ月前なんだよね。時が経つのが早い。

 

って思いながらカレンダーを見てたらふと気がついたんやけど

 

昨年の今日がまさに仕事やめるって決意した日だった!

12月9日に1人で行った本田健の1日セミナー。「見た目半分、内容2倍でお届けします」って言われて度肝抜かれたのを覚えてる笑

 

「ここに来て、明日そのまま仕事辞めて自分の未来を変えていく人と、1日聞いても結局何も変えられない人がいます。全体の8割から9割の人は変わりません。」って言われて

 

単純だからさ、

「ううわ」ってなったよね。

 

絶対2割入ってやろ!とか思いながらもまだ全然決心つかなくて悶々としてたらさ、横にいた人がコーチングしてる人で、いろいろ話してるうちに、

「え、早く仕事辞めなよ。もう気持ち決まってるじゃん。いつなら辞めれるの??」

って。

 

単純だからさ、

「ううわ」ってなったよね。

 

 

とりあえず3月までは流石にやめれねーとか思いながらそのあとニュージーランドな人たちと飲みに行ったんだけどさ、

全員

「え、いつになったら仕事やめるんですか?」

「え、もう心決まってるじゃんいつまでうじうじしてんの?」

「あ、僕もうニュージーランド行くって決めたんでら来週社長にやめるって言いに行きます!」

 

みたいな人でさ、

 

単純だからさ、

「ううわ」ってなったよね。

 

 

そんなこと言ったってー。。。って思いながら友達の家に泊まって、10日にさ、またそのニュージーランドな人たちと一緒にいろんなとこ回って、最後に本屋で3年占いって本手にとるやん。

帯に「一生で一度あるかないかの大変身の時」

って書いてあるわけよ。

 

単純だからね。

「ううわ」ってなるじゃん。

 

 

 

 

って書きながら気づいたけど、こんなに多くの人やものに言われてもまだ決断できてないんだから単純ではないよね。笑笑

 

 

 

で、結局決めたのはね、その夜に、そのニュージーランド写真家のトミーさんに言われた「おまえそれ以上うだうだ言ってんなら縁切るから」って言葉だった。

 

ほんと自分で決められないクソ野郎だなって思うけど、「縁切るとか無理ー」ってやめる決心をつけた。(いまはお互い忙しくなって、そんな頻繁に連絡とか取ってないけど笑)(当時はとりあえずニュージーランド行きたい!って感じだった)

 

ってさ、

やぱ何度見返しても

全然自分で決めれてないやん?

ホントくそ。めっちゃ恥ずかしい。笑笑

 

でも

いまでも思うけど、やっぱりその時の自分にとってはその決断にはめっちゃ勇気が必要だったってのが事実だった。その後のことなんてなんにも決めてないし、人になんて説明したらいいかわかんないし。。。

 

それがこわくてたまんなかった。

それでもこのまま教師を続けるのは違うってのはやっぱり確かだった。

 

んでさ、

まぁその後いろいろあったのちに辞める運びとなったわけで、今やその時には思いもしなかった場所で、思いもしなかった仕事をしているわけです。

 

 

 

 

 

って思ったんだけどさ、

 

よーーく思い出してみると、なんかいろんなこと叶っちゃってることに気づいた。(思いもしてたってわけよ!!)

 

・誰かとシェアハウスしてみたい

・西の方に住んでみたい

・誰も知らないところで暮らしてみたい

・心理学勉強したい

・生きるってことを一緒に考える仲間が欲しい

・国内海外いろんなとこ行ってみたい

 

みたいなライトなものから

 

・フラットな関係で教育してみたい(子どもも同僚も保護者とも)

→いまはみんながお互いに呼び捨て。

 

・文化祭みたいな仕事したい

→イベントとかサマースクールとかとか!

 

・子育てに悩むお母さんたちにアプローチしたい

→子どもとの関わり、人との関わりについて講座を開いたり、託児に入ってもらって一緒に声かけの実践をしながら学ぶ機会を設けている。

 

・写真や文章を生かして人を紹介するようなことがしたい

→金曜にまさに全くその仕事を担当させてもらえた笑

 

・小学校など公的な機関にもアプローチしたい

→講演会してる

 

・メンターと呼べる人に会いたい

→呼んでないけど会った。

 

 

 

 

などなど仕事に関しては面白いほど自分がこんなんあったら最高なんになーってのが詰まっていたことに昔のノートとかブログとか読んでて気がついてなんかちょっとこわくなった。

 

 

俺ちゃんと思い描いてたやん。

 

 

こうなってくるとさ、

この後の人生もちゃんと思い描いとこっ。

ってなるよね。

 

 

自分にとって最高の人生ってどんなんやろう。

 

 

 

 

次回のネタができたので、また近いうちにシェアします!

 

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友人の結婚を祝うために久々に全力で眉毛を持ち上げるも、なかなか満足いく出来栄えにならず、何度も撮り直しているうちにまゆが上がってるかどうかがわからなくなるほど顔の筋肉に疲労感を覚えた時の顔でさよならっ。

 

つづく