ばみログ(ヤマダの日記)

小学校で3年間教師を務めるなかで、自分の価値観を広げたいという思いにかられて旅に出る。日本自転車旅、東南アジアバックパッカーなどなどしながら思ったことをつらつら書いてます。2018年10月24日より博多で社会復帰しました!笑

家族とのこと

もうなんていうか、

 

 

一揆

 

 

 

大波乱。

 

 

 

 

天変地異。

 

 

 

 

バカびっくりだよね。

からしてみたら

まじで意味わかんなかったと思う。

 

安定の代名詞コームインだからね。

一応中学からなりたいって言ってたわけだし、

そうやって俺が言うから親もそうかそうかっつって教育学部に行かせたわけだし、

 

高い授業料とか生活費とか、

せっせかせっせか働いて、節約して、お金をつぎ込み、なんとか、ようやく、ここまで育て上げたその男が。

 

 

 

 

 

 

 

「おれ、教師やめようと思う。」

 

 

 

 

 

 

 

って。

 

 

 

 

 

な。

 

 

 

 

 

「は?」

 

だよね。

 

「え?」でも「ん?」でもなく

 

 

「は?」

 

 

 

いや、怖かったわー。

 

そうなるってわかってたし。

 

全くそうなったしね。

 

でも

通らざるを得ない大ハードルなんだわ。

 

 

 

今はまぁ、

ひと段落してる感はあるんだけど、

まだちょっとスムーズな関係ではないよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遡ること20年

 

 

小学生のヤマダ少年。

 

自分で言うのもどうかと思うけど

 

 

 

 

めっっっちゃいい子。

 

 

まじでいい子だったと思う。

 

 

素直さの権化。

 

 

 

 

先生の言うこと、

大人の言うこと、

先輩の人の言うこと、

は、

よく聞いて、守りなさいって

言い聞かせられて育ててもらって、

 

「はい。」

 

って元気よく言って育ったからね。

 

そりゃそうなるよね。

 

 

どういう経緯かわすれちゃったけど、

小学校2年生にして先生から

ガッキュウイインチョウに大抜擢されて、

(普通は3年生から)

 

「あ、俺リーダーなんだ。」

 

って思ってね。

 

そのあと高校生になるまでほぼ毎年学級委員長とか生徒会とかやってたよね。

 

今思うとキモいけど

 

多分誇り持ってやってた。

 

自分がやんなきゃ!

期待に応えなきゃ!

みたいにね。

 

 

 

 

 

そんなんだったから、

 

反抗期とかなかったの。

 

親にくちごたえするとか、

もってのほかだった。

 

なんだよって思った時も、

自分が我慢すれば済むって思って

押し殺してた。

 

本当に辛い時は玄関の金魚に相談してたよね。

 

だからそのうち

怒らせないように、

心配させないように、

認めてもらえるように、

 

って考えるようになって、

自分が何するにも親の枠が頭の中にあった気がする。

 

そこからはみ出ないように、

はみ出ても正当な理由があって

理解してもらえる範囲で。

 

みたいにして、行動選択の基準には常に親があったんよね。

 

 

もちろんそれが悪いわけじゃないのかもしれんけど、

 

 

 

自立してるって気がしなかった。

 

いつになったら大人になれるんだろうって思ってた。

 

いつになったら自分で決めれるんだろうって思ってた。

 

 

 

みんなはそういうのを反抗期でクリアするのかな?

親離れっていうか、

親と自分は違う個体なんだよ。

違う価値観があって、違う生き方だってするんだよって、互いに理解し合うみたいな経験を、

中高生の時にクリアするのかな?

 

 

よくわかんないけど、

それをせずにきてしまったから、

親も親でまだまだ子供扱いよね。

 

言葉の端々にそういう風に思われてるってことを感じてしまってそれが嫌で嫌でたまらなくて、

 

でもどうしたらいいのかわかんなかった。

 

 

から

 

平日でも友達とか彼女の家に行って家にいないみたいなこともあったし、休日も基本は家空けてた。(ただ多動だっただけでもあるが笑)

 

 

今さら面と向かって反抗とかもなーって

思ってたんだろうね。

 

特に何もできず触れず。

 

そこそこの距離感で過ごしてた。

 

普通に喋るくらい。

 

 

 

 

まあ、

でもこのことは喋らないわけにはいかないから

 

12月の終わり、

意を決してまず父さんに言った。

 

 

 

「ちょっとお話が。。」

 

 

 

 

この時点で父さんは

結婚の話キタっ!!

って思ったらしい。

 

 

 

 

「実は仕事やめようと思ってて。」

 

 

 

 

 

落差 笑

 

 

 

 

富士急顔負けのフリーフォール。

 

 

 

 

 

「ちょっと今忙しいからもうちょっと考えて正月明けに言って。心ぐっちゃぐちゃだわ。」

 

ってとりあえず保留。

 

 

 

 

んで、

 

 

正月明けて、

 

 

大決戦。

 

 

 

 

今回は母もいるからね、

 

 

 

 

超ドキドキしたよね。

 

 

 

 

 

自分が何考えてて、

どうして辞めるのか、

今後どうしたいのかってのを

 

とりあえず伝えた。

 

 

なかなかしっかり言えたつもりだった。

 

 

 

 

話すうち母さんの目には涙が溜まり始めて、

なんならパニック。

 

結構いろんなこと言われた。

 

 

 

逃げじゃないの?

海外行ってどうするの?

そんなに日本嫌いなの?

海外の前に日本のこと全部知ってるの?

行って何になるの?

自己中すぎない?

その後のプランは?

やりたいこと決まってんの?

一度辞めたら辞めるくせつくよ?

どうせ次の場所でも手ふるえるよ?

子育て失敗したわ。

あなたは山田家の長男なんだからね。

あたし達があなたに払ったお金全部無駄だったんだね。

 

 

ひょー。

 

 

現状全部その通りですーー。

 

 

何も言い返せないですーーー。

 

 

ごめんなさいごめんなさいーーーー。

 

 

そのまま先生続けて、

 

 

いい感じに結婚して、

 

 

いい感じに子供産んで、

 

 

いい感じに家庭が築けなくて、

 

 

期待にそえなくてごめんなさいーーーーー。

 

 

 

 

 

 

 

めちゃめちゃ心痛かったよね。

 

 

 

今まで

こういうこと言わせないように生きてきたし、

 

 

 

こういうこと言わせるような人間はダメなやつだと思ってたからね。

 

 

 

 

いや実際ダメなんかな

 

 

 

もうまさに、

 

 

 

それまでのヤマダ史上類稀なるダメなやつになったんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

でもね、

 

 

 

ひと通り話し終わって、

 

 

 

 

ひとりになって、

 

 

 

 

 

心が落ち着いたあと、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

笑顔だったんだよね。

 

 

 

 

 

 

やばくない?

 

 

 

 

 

この状況下でSMILE。

 

 

 

 

 

笑ってる自分に笑ったよね笑

 

 

 

 

 

 

 

自分でもよくわかんなかったけどね、

 

 

 

 

こぼれてきたのよ。

 

 

 

 

 

 

なんでかなーって考えたんだけど、

 

多分生まれて初めて、心の底から、全部さらけ出して親とぶつかったからだなっておもった。

 

 

 

あ、

 

ぶつかれた!

 

死ななかった!

 

とりあえず伝えられた!

 

 

 

それまでにないくらい

距離が近くなった気がした。

 

 

近くにいるために黙ってた時より、

 

遠くなったっていい!!

って思って言ったことのはずなのに

逆になんか近くなった。

 

 

まだ理解してもらえたわけじゃないし、

分かり合えたわけじゃないけど、

25年間踏み越えられなかった心の一線を跨ぐ大きな大きな一歩がそこにあった。

 

それがめちゃめちゃ嬉しかったんだと思う。

 

 

すっげえスッキリした。

 

 

同時に、彼らの領域から一歩外に出た感もあった。

 

ヤマダ家の代々の人らが考えたこともやったこともない領域に踏み込もうとしてるわけだからね。

 

そりゃ不安にもなるし、

「は?」だよね。

 

 

 

でもさ、

 

今は確かに辛いかもしれないけど、

 

 

絶対これからの人生の方が良くなってくと思わない?

 

 

一見衝突してぐちゃぐちゃだけど

だんだん擦り合わせて、また新しい形に家族が変わってくってことやん?

 

そりゃ大変かもしれないけどさ。

 

このまま行っても俺は絶対幸せじゃなかった。

 

なんなら無理して親の気持ち考えて結婚してたら相手のこと不幸せにしてたかもしれん。

そう思うと恐怖。

 

 

だから、まだどんなことができるかわかんないけど

この後一生懸命動きまくって、自分の生きたい人生見つけて、俺これがやりたかったんだよ!

 

あの時辛かったけど、なんとか飲み込んで、見守っててくれて本当ありがとう。

 

って言えるようになった方が絶対幸せじゃない?

 

そりゃ

言わずに我慢して続けてた人生はもう体験できないから比べようのないことではあるんだけどね。

 

 

 

 

そうやって家族に胸張って言えるようになるってのが1つの夢になった。

 

そんで自分で生き生きと稼いだお金で

 

全員のお金出して家族旅行連れてきたいよね。

 

 

絶対いつかそうできるように、

走り続けようってこの一件を経て覚悟した。

 

 

 

 

こういう事学ぶために退職があったんじゃないかって思うくらいの大イベントだったよ。

 

 

 

 

退職も悪いもんじゃないね❤︎

 

 

 

 

ps

 

今日さ、あるお店に予約しようと思って電話したのね。

 

そしたら予約詰まってるみたいで、

すっげえ嫌そうだったの。

 

でも時間空いてるから入れてあげるって感じだった。

 

いや、

だったらやってくんなくていいよ!

って

辛いならまた別の人に頼むよ!

って思った。

 

 

 

自分も先生やってる時

そんな感じだったんだろなーって思ってすげえ心が痛かった。

 

クラスの子はさ、先生選べないやん?

別のお店に行くわけにはいかないやん?

 

 

だから

やっぱ人と関わる仕事の場合は特に、

施す側は無理やりひねり出したものじゃない、生き生きとした感謝や、喜びをもってるのがすごく大切だよね。

 

 

会社のシステムの問題なのか、その人の問題なのかわからんけど、

 

彼が満たされる時がくるといいなーって思った。

 

 

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ドン曇りの滝をどうにかオシャに撮ろうとお団子になりながら奮闘するヤマダでさよならっ!