喋れないってつらい 東南アジア44日目 パクサン
日本語喋れる先生がお休みしたの。
日本語も英語も喋れないってとってもつらかったよ。笑
言葉じゃないものでコミュニケーションは取れるけど、やっぱつらい。
つらさとしては
・伝えようと思って話してくれてるのに、まるでさっぱり意味がわからなすぎて、手も足も出ない状態がつらい
・意味が全く通い合わないのが続くからモヤモヤがどんどん大きくなってつらい
・ここにいる意味。ってなってつらい
最終的にはマジで何にもできてない自分っ!!
っていうつらさが1番だった。
せっかくこんな辺境の地にまで足を踏み入れて来たけどまるで何も残せてないぞ!ってなってつらかった。
そもそも残せるわけないのに、まだ自分に期待しているのかなんなのかわからないけど無価値な自分でいるのが嫌だったのだと思う。
そこにいるだけで子ども的にはおもろいんかもしれないけどそれに満足できない自分が現れてしまったのでした。
多分協力隊に入ったらそんなことの連続なんだと思う。言葉は練習すればなんとかなるけれど、実際にそこでマンパワーとなり、その上で自分にしかできない何かを残したいと思う。
そこにたどり着くまでなかなかハードな道のりになるんだろうなあと思った。
というのも自分にはこれだ!っていうスキルが特にないから。自信もって子供に教えられることってなんだろうかと思うけれど、そんなもん思いつかなかった。
元教師なのに。笑
一緒にいて楽しむことはすげーできてると思う。でもこれじゃあお友達で終わっちゃうよ。
子どもに新しい視点を持たせたり、視野を広げさせたりするのっていったいどーすりゃいいんだ。
自分なら自分の気持ちに気づけるけれど、人がどう思うかはわからないから、ますます難しい。
まあ、
それを2年間かけて思考錯誤して行くのが協力隊なんだろうなあ。。
とおもって、
果たしておれはそこに行くことが自分のより良い命の使い方なのかと、自分に問うたときによくわからなくなってしまった。
今自分はどうなりたいんだろう。
近道なんてないのは知ってるし、寄り道した先におもろいものが待ってたり、とりあえず足を踏み入れてみよう!でこの半年間過ごしてきたけれど、2年間ってのはなかなか長いよな。
生活してみたいと言っていたけれど、沈没してしまわないかも不安に思ったりもする。
普段はそんなこと考えずにスタスタと歩いていけるようになってきたんだけど、ここに来てそんなことを考えてしまった日だった。
まぁ、まだ時間はあるからもう少しゆっくり考えよう。
ゆれうごいてる〜〜。笑