西日本11日目 阿蘇〜熊本〜水俣
今日は全部で140キロこいだ。
ふらふらで、
もう頭が回らないので、
事実を淡々と書き残す。
朝起きて
ニートリオで記念に一枚。
日本の未来は明るい。
自転車を預けていたので、
開店時間までゲストハウスで待っていた。
みんな行っちゃって寂しかった。
人それぞれ
みんな全然違うルート、
違う目的、
違う価値観
で行動してる。
その人たちがたまたまそのゲストハウスで交わり、仲良くなって、時が来ればまたそれぞれ散って行く。
偶然の出会いって言っちゃえばそれまでだけど、やっぱり人と過ごした時間は自分にとってなににも変えがたい旅の思い出だし、その時、その瞬間でしか味わうことのできない奇跡のような時間で、偶然の一言で片付けたくないと思ってしまう。
ゲストハウスで働くと毎日奇跡なんだなー。
ええなあ。
散ってしまえばまた1人だけど、
そのゲストハウスに泊まる前と後では、
別の人間になった感じがする
彼らの一部が、自分に溶けて少し色を変える
ような感じ。
コーンな場所で
おうまさんコロッケ食べたり
牛さんから直送なアイスを食べたり
竹原牧場のアイスクリームまじうまだった。
@道の駅 阿蘇
しながら熊本市へ。
熊本城が見たかった。
地震の影響がまだまだ残っていて、
下るのにも遠回りをした。
震災が起きた時他人事でした。
実際に見たことで
ライフラインが絶たれる
って状況とか
道が繋がらないってことを考えてぞっとしたりした。
やはり
自分ごとになるほどにはならなかったけど。
そんなこんなで熊本へ。
いろんなとこにくまモンがおって、
くまもとがんばろう!
って言ってた。
がんばろう!!
おれもがんばるよ!!
とりあえず
サラダちくわなる
不思議な食べ物があったから食べた。
ちくわ天の穴の中にポテトサラダ入ってた。
おもろい食べ歩きだ。
いきなり団子もたべた。
なんでいきなりなのか
店員さんに聞きそびれた。
熊本城も被害は甚大だった。
こんなの一部だけど、
まだまだ元の形になるまでに時間がかかりそうだった。
報道は
震災のあった日に
記念日のように取り上げるだけだけど、
現場は毎日戦ってた。
それを毎日報道されても困るから
やはり年1でいいんだけど、
じゃあ自分には
何ができるだろう。
何もできない。。。
知って考えて、感傷に浸ったとこで
現場は何も変わらない。。。
そんなひょっこり現れたビジターに
なんかしてもらおうだなんてそもそも思ってないだろうけど、
とりあえず
頑張れくまもとって思いは
来る前の
300倍くらいになったよ。
そのあと明日の鹿児島アタックに向けて
いけるとこまで南下することにした。
そこで
半端ない出会いがあった。
上村研斗氏
強すぎる風と
果てなく続くまっすぐ道に
嫌気がさしていたころ
颯爽と横を通り過ぎて行くから
追いかけて
話しかけた。
なんと
いまから
ここまで行くんだって。
夜通しで。
は?
やば
で、
明日のフェリーで大阪に帰るんだって。
ちなみにここまでは大阪から4日間で来たんだって。
意味わかんない。
話聞いて行くと
大阪から名古屋までノリで自転車で行ったら
行けて、
そこで自転車に目覚めて、
日本一周できんじゃね?って
思ったらしく
5ヶ月で日本一周。
その後、
チャリで行ったら歩きでも行きたくなった
とか言って
歩いて日本一周もしたらしい。
もう
異次元。
にわかな僕がこんな平坦で走りやすい道でへーへー言ってるのが恥ずかしくなった。
そのまま彼と進んだ。
ゆーても鹿児島までは行けないので
目標にしていたところから30キロ先の水俣まで行くことにした。
最初は僕が先を走った。
途中で変わると
ペースが恐ろしかった。
1.5倍くらいのペースでガンガン行くから全然ついて行けなかった。
やっぱり本物は違うなあと思った。
旅の喜びは
なによりも自転車に乗っている時間らしく、
ゲストハウスには泊まらず、
ほぼ野宿なんだと。。
同じ自転車旅でもこんなにも違うんだなあと思った。
俺は長く走ったらご褒美あげたくなっちゃう。
彼は乗ってること自体ご褒美。
日本一周はできないなあと思ってしまった。。
別にする気もないけどね。
その後も必死に追いかけたけど
あまりに速すぎて、
申し訳なくなったから
先に行ってもらうことにした。
完全にキャパオーバーだった俺の体は
ももとか腰に結構来てて、
お尻の割れ目は7つに増えてた。
辛すぎたときに
ジョイフルっちゅう最強のファミレスがあったので、もう入った。
静岡になかなかないしね。
ご飯大盛り無料やし、
ドリンクバーも質が高いのよ!
西の方にはたくさんあるからぜひ。
ガストとかサイゼほぼみてない。
そんなこんなで
今日も九州は俄然試される大地でした。
続く