素っ裸の人たち。
日本に帰ってきたから素っ裸の人たちにめちゃ会った。
行くとこ行くとこみんな素っ裸だったり、裸になるために努力してたりする人たち。
もう見えない何かが俺に裸になれよって言ってるとしか思えない。
もちろん
心的な意味で。
物理的にみんなはだけてたらやばいよね笑
それ日本に帰国できてないよね笑
心的に裸になってるってのは、
自分の思いに嘘がない
思ったことそのまま伝える
自分のどんな感情も受け止めて吐き出す
仮面かぶってない
本音で生きてる
自分に依存してる
ありのまま生きてる
嫌われる覚悟をしてる
自分が主人公
自分の操縦席には自分が座ってる
って感じかな。
とにかくいく場所行く場所でそういう人たちばかりに会うんだ。
岐阜、福岡、岡山、名古屋
裸になり具合の差はあれど、みんないい感じにはだけてる。すっぽんぽんの人は2人いたな笑
そういう人たちに会うと、服というか、重たい鎧を着て人と接している自分がなんかちっぽけに思えてくる。俺もいろんなもの脱ぎ捨てて、素っ裸で軽快に生きたい!って思えてくる。
これ以上自分に嘘つきたくないっ!どんな自分も受け入れてやりたいっ!って思えてくる。
でもさ、
裸になるのってめっちゃ怖いんよね。
恥ずかしい。
こんなこと言ったらどう思われるだろう。
嫌われたらどうしよう。
よく思われたいなぁ。
衝突したくないなあ。
これまでずっとなにかを身にまとっていて、生身で人と接してこなかったから、おもいきってぶつかっていったその先で自分がどうなってしまうのかわからなくて、傷つくのが怖くて、服を脱ぐことを恐れてしまう。
素っ裸の人を見て、最初は苦笑いするしかなかった。
おっおう。。。
ってなるしかなかった。
でもさ、何日もそういう人たちに囲まれていると、脱いでない自分のまま人と接することが申し訳なくなってくる。
できない自分が残念になってくる。
自分も脱いでみたいっ!生身で人と接してみたいっ!
そうおもえてくる。
それでさ、言ってみるの。
「わかんないよ。」
「嫌だよ。」
「やりたくないよ。」
俺はネガティブなワードがたくさん出てきた。
これまで
共感できない。
理解できない。
うまくできない。
って自分を認めたくなかったんだろうね。
人に合わせることが上手に生きることだと、よりよい生き方だといつのまにか信じてしまっていたから、人と対立するようなことをストレートに伝えることができなかったんだってわかった。人のこと理解して受け入れられることがかっこいいことだと信じてた。
言う時はさ、
すっごく怖い。
そんなこと言って怒られたらどうしようって、こいつわかってねえなって思われたらどうしようって、人に合わせられねえお子様だって思われたらどうしようって。
すげえ思った。
なんか、また仕事辞めた時みたいな、丸腰で崖からダイブする感覚になった。
でもね、
やっぱりね、
大丈夫だった。
大丈夫なんよね。
まあ、言う相手も存分に素っ裸だからそういう関わり方が当然なんだよね。ちゃんとぶつかれた。ぶつかって受け止めてもらえた。受け入れてもらえるかどうかは別としてね。
でさ、
やっぱすげえ嬉しくてスッキリした気持ちになった。思ってたことそのまま伝えられたからだと思う。その一瞬はちょいと怖いし不穏な感じになったりもするんだけど、お互いに開いてる感覚を共有できて、なんかまた一歩近づけた気持ちになるの。
ほかにも
自分の感情に蓋をせずにちゃんと吐き出すことで、また新しい感情が生まれられるスペースができる感じとか、自分を許してあげられたなーっていう満足感とか、いろんな「いい感じ」が生まれた。
もちろんいきなり素っ裸になるのはむずいと思うけど、少しずつ脱ぎ捨てて行こうって思った。
次のフェーズにいくための鍵はそこにある気がするやでっ!!!
つづく
歌っていいよ!
踊っていいよ!
うまくいかなくてもいいよ!
喧嘩してもいいよ!
自分出してあげられるのは自分しかおらんからね!ゆるしてあげよっ!!