雷なんてそうそう落ちない
旅すれば
雷が落ちるほどの衝撃的なことが価値観を一転させてくれるかもしれない。
って
思ってた時もあった。
でも、
そんな衝撃的なことは
そうそう起きない。
だから旅すれば自分は変われる!
って思ってると期待外れなことになるかもしれない。
めちゃめちゃ綺麗な景色を見ても、
その地の心打たれる歴史を知っても、
いろんな人とお話ししても、
自分が崩れ去ってしまった。
ってレベルのことには出会えなかった。
(海外行ったら別なのかも)
じゃあこの旅で何も変わらなかったのか、自分にとって無意味だったのかというとそうではない。
1日1日がこれまでのヤマダヒロキに違った色を混ぜ込んでいった感じがする。
それまでのヤマダヒロキが消えるわけじゃなくて、だんだん違う色が混ぜられて新しい色に変わっていってる感じ。
自分でも気づかない程度の薄くて小さな変化が毎日のように起きてるんだと思う。
それをなんとなく実感した時があった。
それは、
感覚が刺激されすぎて気持ち悪くなった。
どういうことかというと
あんまり意識してなかったんだけど、
それまで、
あーんなところや
こーんなところや
そーんなところ
にいて、
5日から6日くらいはずーっと自然の中で生活してた。
その間、
目に入ってくるのは
どっしりと構えた山の緑色と
突き抜ける青空。
聞こえてくるのは
川を流れる水の音と
虫や野鳥の声。
鼻にはどこからか運ばれてくる
花の匂いのまじった優しい風のかおり
知らない間にどんどん心が落ち着いていたらしい。
気づかぬうちにそんな環境が当たり前になってしまった自分にとって、
たったこれくらい。
なんなら全然まだ郊外だったのに、
この場所で
頭が痛くなって、気持ちが悪くなった。
その時の自分にとって、
いろんなものがうるさかった。
目には沢山の看板やポスター。
いろんな色があってぐっちゃぐちゃ。
車やバイクのエンジン音、クラクション。
どこからか聞こえてくるなにかのBGM
特ににおいにはかなり敏感で、
車のガスくささや、店から漏れ出すいろんな匂いを感じとった。
いろんなノイズが一気に自分の中に容赦なしに入ってきて、心と体をざわざわにしてきた。
今となってはまたこの環境に慣れてしまったから普通に生きられるけれど、
強いて言えばあの経験は「衝撃的」な瞬間だったのかもしれない。
それは自然の中で過ごすという、それまでなかった色を自分に混ぜたことによって生まれた感覚で、やはり積み重ねることによって気づくことができたこと。
自分が変化していたんだなあと感じることができた瞬間だった。
その時考えたのは、
「生活する」ということ
一瞬で何がをズバッと変わってしまう経験というのはなかなかないけど、
それまでと違った習慣や、文化、環境
の中で、「生活」してみることによって、
自分の価値観に大きく影響を与えられるような気づきに出会えるのかもしれないと思った。
今回の旅は1つのところにとどまるのはせいぜい3日ほど。
月単位でその場の生活をしたら自分がどうなるのだろうかという興味が湧いた。
特にいまは、
あのノイズレスな環境での生活にすごく関心がある。
多くの人は生まれた時から周りにいろんなノイズがある。
生まれた時からそうだから
それが普通になってるんだと思う。
別にそれで何にも困らないからそれでもいい。
でも、
それまでとはちょっと違った色を取り入れてみることによって、元々の色の良さだったり、違和感だったり、多くのことに気づくことができる。
自分はその心地よさや、おもしろさ、可能性に心を惹かれてしまったからもう一度経験して見たいという思いになってる。
どこでやろうかなあ。。
まあ、
だから生活とはいかないまでも、
みんなにも意識して山の中にいってほしいと思った。
一人で
心を落ち着かせて
自分の声に耳を傾ける時間をとることは
人間にとって大切なメンテナンスになるんじゃないかと思った。
ノイズレスな環境を感じてほしい。
瞑想状態だったのかもしれんなー。