教育の原点がある場所 東南アジア30日目 プノンペン
この日はベトナム(ホーチミン)行きのバスを取ってからいつもと同じようにひろしまハウスに行きました。テストデイだったので全然やることなくて、休み時間にサッカーしたりして子どもと関わるほかは、ブログ書いたり考え事したりしてました。
最後に撮った集合写真。
結局10日くらい居させてもらった。
一緒にご飯食べたり、サッカーしたり、日本語教えたりしてたにもかかわらず、名前覚えた子は10人いかないくらいで本当にゆるーくいさせてもらっちゃった。でも自分にとってはまた新たな発見がたくさんあった時間でした。
先生じゃないっていうこともでかくて、なんの責任もなくただただ子どもと関われたことでフラットな感覚でいろんなこと観れたんだと思う。
思ったことはたくさんあるけど、1番心に残ったことは、教育ってのが本当に子どもに夢や希望や可能性を与えるものであるんだってことだった。
当たり前のように聞こえるでしょうか?
それとも何言ってんのって感じでしょうか?
僕としてはこれが意外と衝撃的な発見だったのでした。言葉としてはわかっていたことだったんですけど、「あ、本当にそうだわ」って腑に落ちた感じがしたんです。
日本の学校では「将来の夢はなんですか?」って聞きますよね。ここヒロシマハウスが始まった時にも同じように子どもたちに尋ねたそうです。その時の子どもたちは、
??夢って何??
って感じだったらしい。
夢とか将来とか未来とか、日本じゃ当たり前ですが、そんなの彼らの中になかったんです。そのまま大きくなってたらどうなってたでしょう。自分の親の仕事を継ぐか、知り合いの仕事に混ぜてもらうとかになってたのかな。
そもそもどんな仕事があるのかも知らなければ、自分にどんな可能性が秘められているのかも知らなかったんです。
その事実を知った時に思ったのは、
「この子たち、この人たちにとっては、実はその方が幸せなんじゃないのか?」
ってことでした。
知っちゃったら目指したくなる。
知っちゃったらカンボジアを出て行かなきゃならなくなるかもしれない。
知っちゃったらどうにもならない現実を前に呆然とせざるを得ないことになるかもしれない。
日本の子どもたちよりもお金や周囲の価値観など、環境的なハードルは段違いに高いのではないかと感じました。
でも、それでもやっぱりなにかを目指す人生を送ってほしいとひろしまハウスの先生たちは考えたのでした。
ひろしまハウスと出会ったことで、子どもたちのなかに「夢」という概念が生まれました。将来や未来をデザインするってことを知ったのでした。
医者になりたい。パイロットになりたい。空手家になりたい。日本語教師になりたい。
どこまで本気で言ってるかわからないですけど、今の子どもたちはなんらかの夢を掲げています。それは今後いくらでも変わっていくだろうし、もしかしたら初志貫徹で本当に達成してしまう子もいるかもしれません。
自分に可能性を見出して、挑戦していくという未来が、そういう生き方をする道もあるという選択肢ができたのです。
これってすごくないですか?
日本じゃこんなの学校に限らず親とか親戚とか関わるいろんな人が質問していて、知らない間に当たり前のようにその概念が頭の中に植えつけられています。
でもこちらでは、親の世代も「夢」っていう概念をもってない。道を歩いているとただ日々を消費するように生きているなって感じます。
そんな0の世界に、1を産んだんです。この与えられた1は本人の頑張り次第でいかようにも成長させていくことができます。見えないもの、知らないものにはそもそもそれをどうこうするって概念が生まれません。
さっきも書いた通り、実は知らない方が。。。とも思いましたが、人生を選ぶのは子供達です。最後は自分で道を決めて走って行ったらいい。すごく悩むことになるかもしれないけど、そうやって選び抜いた人生をドラマティックに過ごせた方が楽しいよね。
これからのこの子たちの活躍を見ていくことが楽しみになりました。
そんな感じで、笑顔でサヨナラしてきました。
また絶対来るよ!って言っちゃったからいつかまた来よう。
あと日本の子どもとスカイプしようって約束しちゃったからしよう。
笑
楽しい日々をありがとうございました。