世界は2つでできているから選べる!
「降り注ぐ日差しがあって
だからこそ日陰もあって
その全てが意味を持って
互いを讃えているのなら
もうどんな場所にいても
光を感じれるよ」
って桜井さんが「GIFT」で言ってたり、
「愛を学ぶために孤独があるなら
意味のないことなど起こりはしない」
って平原さんが「Jupiter」で言ってる。
(作詞は違う人かな)
光と影
陽と陰
+と−
生と死
この世界はなにかと2つ極で成り立っていて、
片方があることでもう片方が存在できてる。
もしこの世に「生」しかなかったら多分それに名前はついてないんじゃないかな。それしかないから それをわざわざ認識する必要ないし、なんなら認識できないかもしんないしね。
だから
片方がなかったらもう片方もなくなっちゃうってこと。
そうするとさ、やっぱりマイナス側だって必要。マイナスの方によくないイメージ抱きがちだけど、そっちがあるからプラスを認識できる。マイナスがなかったらプラスを知ることができないってことだもんね。
って考えると、平原さんが言うように、愛を学ぶために孤独があるなら意味のないことなど起こりはしなくて、全てはプラスのために起きてるって捉えられる。
だけど、前自分はマイナスにフォーカスしちゃってた。
ない
つらい
かなしい
その一瞬だけを見ると、マイナスなものは強烈かつ、いくらでも見つけることができて自分がないないづくしになる。
そのときだってちゃんと
“あった”はずなのに、ないものしか見えてなかった。ないものしか見てないと、そこにあるはずなものさえ受け取れなくなっていく。
世界がマイナスなものにしか見えなくなる。
いまでこそその時間があったからいまの幸せを噛み締められてるな、準備段階だったんだなって気づけてきたけど、その渦中にいるときはなかなかマイナスなものから視点を変えることができなかった。
いまはなんとかそこから抜け出して、全てが自分にとって意味のあることだと捉えられるようになってきた。
何が言いたいかっていうと、結局自分がどっちにフォーカスするかでそのものがプラスなのかマイナスなのか決まっていて、どちらにフォーカスするかは自由だってこと。
世界をどう捉えるかは自分次第だってこと。
事実は変わらないけど、それにどんな価値を見出すのかは自分次第だってこと。
つらかった時期は自分にとって必要だったって思えてる。その時期があったからいまいろんなことを感じられる。
だけどそこにずっとい続けるのはもったいないって思う。もう十分マイナスを味わったって思ったらプラスに捉える選択をしてほしい。
もしもプラスにフォーカスできるようになったとき、歌のようにどこにいても光を感じられて、どんなものにも意味を見出せるようになる。
そうなったら全部光だから
もう心配事なんて無くなっちゃうよね!
そうすると
どんなものにも誰に対してもそこにいるだけで価値がある。価値のないものなんてないって思えるようになるんじゃないかな。
なかなかその境地には達せてないけど、たまにそういう人がいる。
誰にでもすげえ素敵な笑顔で接してる人。
前は、捻くれてたからそういう人見て
人間味がないなぁ
って思ってたけど、いまはまじですげえ人間だなって思う。
いろんなことを経験して、プラスに捉えられるようになっていくことを成長とか大人になるとかっていうのかもしれないなと思った。
選べるんだけど、
実は多分2つのどちらかだ!
っていうんじゃない。
「白か黒で答えろ」という
難題を突き付けられ
ぶち当たった壁の前で
僕らはまた迷っている
迷ってるけど
白と黒のその間に
無限の色が広がってる
君に似合う色探して
やさしい名前を付けたなら
ほら一番きれいな色
今君に贈るよ
その2つを見て、その間のどこかに自分に似合うとこがある。
白も黒も味わって、自分が心地いいところを見つけてそれを選んだらいいってことかな。